らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「地獄変」芥川龍之介

 
この作品を読む前にウィキペディアにあらすじが載っていたのでざっと目を通したのですが、
あらすじを知っただけで結構へこみました。
芸術家が究極の作品を作るため、
可愛がっていた実の娘が牛車ごと焼き払われるのを見て作品を完成させる、
まさに地獄絵図そのもののような内容だったからです。

ここ2日間宮沢賢治を読んだ後だったので尚更だったかもしれません。
なにか体の免疫が落ちたような気すらも(笑

しかし読み始めると、知らず知らずのうちに引き込まれ鬱になるとか暗い気持ちになるとかはなく、
得体の知れない妙な興奮と驚きでいっぱいになりました。

物語は、主人公の絵師良秀の家に出入りしていた男の語りという形を採っており、
訥々とした語りで、抑揚もなく淡々と問題の絵が描かれるに至った経緯が述べられています。
ところが娘が乗せられた牛車に火が放たれるやいなや、状況は一変し劇的に動的に変貌します。

月のない漆黒の真夜中に娘を乗せた牛車が赤々と燃え上がる。
火勢が強まるにつれ、火の粉が雨のように舞い上がり、
牛車を構成していた金色や青色や紫色が真っ赤な炎と溶け合って天に舞い上がる。
その中で身悶える娘の顔の白さと、火勢で乱れ舞い上がる長い黒髪のコントラストが映えて
不気味な美しさが醸し出され、
更に桜色の唐衣が炎にゆらめく様は、
まるで散った桜の花が乱舞するがごとき美しさと不気味さが共存する。

そしてその猛々しくも艶やかな炎に照り返るまわりの人間達の表情が、
対照的に醜くくっきりと浮き上がります。

最後に燃え盛る炎は全ての色を溶かし白き火柱となって天に衝きぬけるのですが、
ここまで読んだ時、思わずへなっとなってしまいました。

「蜜柑」でも述べましたが、
芥川龍之介の色彩の描き方はおよそ凡人の為せる業ではなく素晴らしく上手い。
また自分でもなぜだか上手く説明できないのですが、
物語の現場に居合わせているかのような臨場感があり一、気に読み切ってしまう。
動と静の組み合わせが極めて巧みだからなのでしょうか。

最後に、良秀の小さな墓標が雨風に曝されて苔蒸している様は、
そのくすんだ緑色が、先の火焔の華々しさと対照をなして、哀れを誘い思わずホロリときます。

あと今回学習したことがあります。
あらすじは、あくまであらすじであって作品そのものではありません。
今回も作品に触れずにあらすじだけで止めていたら、
「鬱で暗い気持ちになる物語」で終わっていたことでしょう。
現在、巷では、忙しい人のための「あらすじで読む名作」のような本が出回り、
忙しい現代人に重宝がられていますが、
あくまでもそれは作品そのものを読んだのではないことを心して接するべきだと思いました。