らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「最終戦争論」石原莞爾




1960~70年代に西洋の雄アメリカ合衆国と東洋の盟主大日本帝国が激突し、
人類の半分は死滅するも大日本帝国が勝利し世界を統一し地球に永久平和が訪れる。

この話を読んで皆さんはどう思っただろうか。
今流行りの架空戦記小説のあらすじ?と思われたかもしれない。

正解は歴史上満州事変のシナリオを作った立役者といわれ、
軍の中枢を担った石原莞爾が近い将来現実に起こるであろう世界を真面目に論じた文章である。
少なくとも「架空戦記小説」という趣旨で書かれたものではない。

まずこの文章は戦争の進化の歴史を解説し、
そのベクトル方向の延長線上のものとして近未来の戦争を予測している。

曰わく、
将来は航空戦力が勝敗を決する、
飛行機の性能が向上し無給油で地球一周しうるものが開発される、
軍事施設のみならず無防備な一般国民の都市も攻撃対象になる、
一発で都市を全滅させるような破壊力の爆弾ができる。
この文章は昭和15年に書かれたものであるにもかかわらず、
ことごとく的中した感があり軍事的予測としては非常に鋭いと言わざるを得ない。

しかし政治的予測としてはどうか。
曰わく欧州は斜陽の大国、ソ連は統制国家のため世界制覇の対象から脱落し、
アメリカ合衆国天皇を中心として日本を盟主とする東亜が決勝を戦うことになる。
結果は皆さんもご存じの通りである。

石原は東亜が勝つ条件として、満州建国の精神である民族協和の実現、
科学技術の発展による兵器の進化ということを挙げる。
ただ天皇を中心に東亜がまとまるというのは日本人だけの願望という気がしないでもないし、
科学技術の発展というのも、ここ数十年急速な進歩を遂げたからできるだろうという
願望的予想に過ぎないような気もする。

石原は東條英機を面と向かって痛烈に批判、し中国戦線拡大に反対したため、
石原莞爾が軍中枢に止まって実権を握っていれば、
太平洋戦争の惨めな敗退はなかったいう意見もあるようだが、
失礼ながら石原が軍中枢で実権を握るようなことがあれば、
日本人の半分が死ぬようなもっと悲惨な結果になっていたかもしれないと思う。

石原自身も自分のシナリオで人類の半分が死ぬかもしれないことを認めている。
ただしその死は、最終戦争に不可欠で永久平和到来のための生産的な死であるというようなことを
あっさり躊躇もなく言っている。

彼は自分の考えたシナリオを忠実に遂行しようとする生粋の軍人であり、決して平和主義者ではない。

ただ現在においても石原莞爾の信奉者は少なからずおり、その気持ちもわからなくもない。
彼は軍事という人間社会の「道具」を究極にまで突き詰めたある種の「技術者」であると思う。
才ある技術者であればあるほど、採算度外視で究極の技術を追い求めてしまう。
それは技術者の本能みたいなものだと思う。
しかしその技術が実際有用に使用しうるかどうか判断するのは経営者(政治家)であり、
石原は自分自身その素養はなかったろうし、
周りにも彼の軍事的発想をサポートしてくれる経営者(政治家)はいなかった。
結果彼は一部のマニアに祭り上げられる理論家という存在にとどまった。

失礼だがこの結果は日本人にとって幸いだったと思う。
最後に、石原は人類の半分が死滅する最終戦争を迎える人々への心構えを説いている。
「われわれが決勝戦をやることになっても、断じて、かれらを憎み、かれらと利害を争うのでありません。
恐るべき惨虐行為が行なわれるのですが、
根本の精神は武道大会に両方の選士が出て来て一生懸命にやるのと同じことであります。
特に日本人としては絶えずこの気持を正しく持ち、
いやしくも敵を侮辱するとか、敵を憎むとかいうことは絶対にやるべからざることで、
敵を十分に尊敬し敬意を持って堂々と戦わなけれはなりません。」

この言葉をどう思われただろうか。
あえて結論は述べず判断は読者の皆さんに委ねたいと思う。



青空文庫「最終戦争論」