らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【字余りのうた】9 妻恋







 
弟橘媛(おとたちばなひめ)に縁深い妻恋神社の散り行く桜を見て詠む」



春爛漫
弟橘媛(おとたちばなひめ)の
花飾り
春風に舞い
まばゆくひらめく


今日は用向きで成田に行ってきました。
横浜はほぼ桜は散ってしまいましたが、
成田は少々北に位置するため、まだ散り始めというところでした。

今日成田に行って目にとまったのが妻恋神社。

夫婦仲を良くしようと願う夫婦を呼び込もうと
最近の神主が創立した神社ではありません笑

古代からある由緒正しき神社なのです。
由来から南関東以外の方には馴染みがないかもしれません。
簡単に説明致しますと

日本武尊(やまとたけるのみこと)は東征し、
各地で苦戦しながらも勝利を収め、走水の渡り(横須賀市)に到達した。
そこから房総半島に向けて船で渡る途中暴風雨に遭った。
その時、尊の妃弟橘媛命が身を海に投げて命をかけて海神を鎮め尊の一行を救った。
その時に妃が詠んだ歌が


さねさし 
相武(さがむ)の小野に
燃ゆる火の 
火中(ほなか)に立ちて
問ひし君は


相模の野に
燃え立つ火の中で
わたしの心配をして守ってくださった貴方
(今度はわたくしがあなたをお守りいたしましょう)

この歌は相模の国造に欺かれ火攻めにあった時に、
尊が荒ぶる火炎から妃を守ったことを詠んだもの。

海に身を投げた弟橘媛(おとたちばなひめ)が持っていた櫛は、
7日後房総の海岸に流れ着いた。
現在の東京湾沿岸には袖ヶ浦、袖ヶ浜などという地名が多くあるが、
これは弟橘媛の帯や袖が流れ着いたという伝説に基づいて名付けられた地名との事。

海は鎮まり、尊は房総に上陸ができ、東国を平定し、大いに勲功をあげることができた。
帰路、上総の国碓日嶺に登り東南の方を望み、
「吾妻者耶・・・・・」と恋い慕いたもうたとの意を取って「妻恋明神」と号した。
その後、稲荷明神が合祀し妻恋稲荷神社として今日の形となった。

との事です。

成田にある妻恋稲荷神社は東京湯島にあるものの分社のようです。

そういう経緯を知って自作を読んでいただくとまあまあな出来だと思いませんか(^_^;)