らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「反逆」菊池寛

この物語は、幕末から維新に世の中が大きく変化する時期に、
その大波に翻弄されたとある桑名藩士の生き様を描いたものです。
いわゆる幕末維新の戦いで負けた側の人々の話ですね。

自分達は、長州の高杉晋作、薩摩の西郷隆盛大久保利通、土佐の坂本龍馬などの話ばかり
見聞きしていますから、さぞかしあの時代の人は腹が据わって時代の変化に対応できたんだろうと
思いがちですが、大多数の日本人はどうだったんでしょうか。

桑名藩というと、どういうスタンスをとった藩か一般に馴染みがないかもしれませんが、
当時の藩主は京都の治安を維持する任務の京都所司代を務め、
実兄はそれぞれ尾張藩主、一橋家当主、会津藩主と徳川幕府の超名門です。

この物語は鳥羽伏見の戦い幕府軍が敗走し、13人の藩士が逃げ帰ってきたところから始まります。
薩長軍が錦の御旗を押し立て攻め上ってくる対応を協議しますが、
死守説、東下論、恭順論に分かれ意見は混乱を極めます。
一旦は籤(くじ)で東下説に決まるものの、蒸し返して恭順説が優勢になり、
結局恭順説により帰順することになります。
桑名藩はいい判断をした方だと思います。
政争の舞台の京都から近く政治の中核にいたことから、
情報にアクセスしやすかったこともあったかもしれません。

情報から遠い北越及び東北諸藩は、大きな世の中の流れや相手の実力をよく知らないまま、
戦争に突入し多くの犠牲者を出しました。
でも仕方ない部分もありますね。
2年前までは幕府に刃向かうのは長州藩だけで、袋叩き寸前までいっているわけですから。

会津藩に関してはそのような情報に接していたにもかかわらず、
最後まで戦ったのは、やはり保科正之以来徳川幕府を守ってきた筋を通したというところなのでしょうか。

話が外れましたが、物語は帰順が許され桑名藩の大部分の人々は安堵しますが、
鳥羽伏見の戦いに参加した13人は、敗兵お召出しの沙汰により護送されある寺に幽閉されてしまいます。
寺に幽閉された後もなかなか処分が決まらず、13人は疑心暗鬼にかられます。
その際の13人の様子がああでもないこうでもないとちょっと滑稽でさえあります。
この辺りの様子は忠臣蔵で討ち入り後各藩お預かりになった赤穂浪士の立ち振る舞いと比べると、
なんとも人間らしく苦笑いしてしまいます。
しかしそれは冷笑という感じでなく、親近感が湧く類のものです。

その後獄門台を作っているのを目の当たりにして、
13人はいよいよ覚悟を決め、遺書などしたためたりしますが、
新谷格之介という、若い妻をもらったばかりの藩士はどうしても死を受容することができず、
夜のうちに警護の者の目を盗んで逃亡してしまいます。

結局この物語のオチは、用意された獄門台は全く別件のもので、
幽閉の桑名藩士はお咎めなしで放免。
格之介だけは逃亡中に射殺され、用意された獄門台の獄門首になってしまいました。
という少々寓話めいた結末で終わります。

最後に世の人々が、格之介が風声鶴唳におどろいて逃走を企て、
捨てぬでもよい命を捨てたことを冷笑した。とあります。

確かに全てが終わってからだと、格之介の行動は滑稽かもしれませんが、
判断時にはそれほど悪くなかったと思います。ただたまたま運が悪かった。
菊池寛の言うように、何かの感情に激して潔く死を覚悟することは誰もができるわけではありません。

死を決して時代を作るのも人間、新しい時代に翻弄され格之介のような死に方をしてしまうのも人間。
できれば前者でありたいと誰もが願うでしょう。
心構えだけはと切に思います。

しかし幕末維新期に「反逆」の桑名藩士みたいに、
大多数の日本人は徳川幕府がなくなるなど青天の霹靂で、
身の置き所がわからず右往左往したというのが実際のところでしょう。
だとすれば田山花袋「一兵卒」と並んで、そういう無名の人達の存在を知ることは、
それほど無意味なことではないと思います。