らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「夏目漱石先生の追憶」追記 寺田寅彦

「先生からはいろいろのものを教えられた。
俳句の技巧を教わったというだけではなくて、自然の美しさを自分自身の目で発見することを教わった。
同じようにまた、人間の心の中の真なるものと偽なるものとを見分け、そうして真なるものを愛し偽なるものを憎むべき事を教えられた。
しかし自分の中にいる極端なエゴイストに言わせれば、自分にとっては先生が俳句がうまかろうが、まずかろうが、英文学に通じていようがいまいが、そんな事はどうでもよかった。
いわんや先生が大文豪になろうがなるまいが、そんなことは問題にも何もならなかった。
むしろ先生がいつまでも名もないただの学校の先生であってくれたほうがよかったではないかというような気がするくらいである。
先生が大家にならなかったら少なくももっと長生きをされたであろうという気がするのである。
いろいろな不幸のために心が重くなったときに、先生に会って話をしていると心の重荷がいつのまにか軽くなっていた。
不平や煩悶のために心の暗くなった時に先生と相対していると、そういう心の黒雲がきれいに吹き払われ、新しい気分で自分の仕事に全力を注ぐことができた。
先生というものの存在そのものが心の糧となり医薬となるのであった。
こういう不思議な影響は先生の中のどういうところから流れ出すのであったか、それを分析しうるほどに先生を客観する事は問題であり、またしようとは思わない。」