らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【東日本大地震関連】3・11地震記5

今回でラストです。

繰り返しになりますが、震災した際考えたのが、
まず「会社家族への連絡」次に「会社自宅にどうやって帰るか」
という2点でした。

「会社家族への連絡」については2において述べました。

「会社自宅にどうやって帰るか」については
今回に限ってはバス移動が有効だったことについて、3において、
長時間長距離を歩いて移動するのは危険で避けるべきことについて、4において述べました。


新横浜でバスを降りたとき、地震発生時から4時間が経過し夜7時を回っていました。

既に日は落ちて夜でしたが、新横浜駅近辺は停電はなく電気が煌々とついており、
ファーストフード店も営業しており、なにか不思議な感じでした。
既に新横浜は帰ろうとする人々であふれかえっていました。

新幹線、JR、地下鉄はいずれも復旧の見込みなしでした。

バスを降りてまず最初に行った所がタクシー乗り場です。
タクシーが1台も停車していないのに、
列は数百人をなして駅前の広場を軽く横切っており、タクシーによる移動は断念しました。

それではバスはどうか?
残念ながら新横浜から横浜行きへのバスは出ていなかったのです。
近くを通るバスは1時間に1本のみ。しかも百人を越える行列。
臨時バスの予定を聞きましたが予定なしの即答。

車による移動が一番スムーズのため、最後の奥の手でレンタカー屋に行きました。
となんとそこにも数十人が列をなしていたのです。
万事休す。車による移動は諦めました。

そこで会社に電話連絡し、新横浜にいる旨及び帰社手段がないため、
今晩は当地で宿泊する旨を伝えました。

ここで横浜まで歩いて帰るという選択肢もありましたが、
前述したように同行の同僚は体調を崩しており無理は避けました。
かなり寒い風が吹き始めており、健康な人間でも体調を崩すような冷え込みでした。

とりあえず漫画喫茶、安いホテルと順に訪ねましたが、いずれも満杯。
仕方がないので携帯及び実家からのメールで知った避難所の横浜アリーナへ向かいました。

ここでいろいろ検索して情報を収集し続けたためか私用携帯の電池が切れてしまい、
同行していた同僚のアドバイスで予め買っておいた充電器で充電しました。
充電した私用携帯で必要な検索、連絡をし、
会社の携帯は受信専用にして電池がなるべくもつように配慮しました。


アリーナは既に大勢の人々がおり、食い入るようにテレビを見ていました。
そこで初めて今回の津波の映像を見たのです。
苦労してたどり着いたと思っていた自分達は、むしろ恵まれていた方だったとその時悟りました。

暗澹たる気持ちになりましたが、
今、自分達ができることはとにかく体を休め、明日以降に備えることしかありません。
業務用バッグを枕に仰向けに寝っ転がりながら、テレビの音声だけをぼんやり聞いていました。

すると間もなく「アリーナが満杯になるのでスポーツセンターに回ってください」とのアナウンスが聞こえました。
行き場を失った人々が続々と押し寄せ、広いアリーナも早くも満杯になってしまいました。
夜9時くらいだったでしょうか。

しばらくすると眠くなり、同僚に「ちょっと寝てもいいかな」と尋ねました。
すると同僚は「自分は床が固いと眠れないので起きてます。」と答えました。
自分達がいたところは、アリーナのロビーでコンクリの床に薄いカーペットを貼っただけの
固いものでしたから無理もないと思いました。
しかしとにかく雨風しのげる避難所にいるわけで、
最小限飲み物とチョコレートなども持っていましたし、
万が一同僚の体調が悪くなっても常駐の医師の診断をその場で受けることもできます。
情報を収集して早めにアリーナに入って良かったと思いました。
あと携帯充電器にはかなり助けられたと思いました。
電池を気にせず目一杯検索して、合理的な選択ができたと思います。

そんなこんなを考えながらいつの間にやらうとうとしていたのですが、
突然会社の携帯のバイブがなりました。
川崎から車で帰ってくる会社の人がついでに拾っていってくれるというのです。
夜10時ちょっと前だったと思います。
地獄に仏とはこのことで、車到着の連絡があるとすぐさまアリーナを後にしました。


11時ちょい前に横浜に到着し、荷物を置いてその日はそのまま帰りました。
ちょうど家の近くまで行く私鉄が復旧したばかりで、
同僚も同じ方向だったので一緒の電車に乗って帰りました。

家に着いたのは地震当日の11時半すぎでした。

明けて月曜日同僚と再会し素直にお互いの無事を喜びあいました。
彼の笑顔を見て自分も本当に良かったと思いました。

以上で自分の3月11日の体験は終わりです。

試行錯誤しながら運にも助けられその日のうちに家に帰れたことは本当に幸運でした。

何が大事かということについては何度も申し上げましたので、ここでは繰り返しません。

しかしあれから5日経って事態はますます悪くなるばかりです。
被災された方々に1日も早く笑顔が戻るよう願ってやみません。