らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【東日本大地震関連】3・11地震記4

遅くなってすみませんでした。
続きです。

震災した際考えたのが、まず「会社家族への連絡」次に「会社自宅にどうやって帰るか」
という2点でした。

「会社家族への連絡」については2において述べました。

「会社自宅にどうやって帰るか」については、
今回に限ってはバス移動が有効だったことについて、3において述べました。

移動手段の選択肢ついては現場待機、バス・タクシー等車移動、、
歩いて帰るかが挙げられますが、歩いて帰ることは絶対にお勧めしません。

よくテレビやネットで女性が8時間かけて35キロを歩いて帰ったとか、
いや、俺は10時間で50キロ歩いたという、
いわゆる「テレビ映え」する武勇伝的なコメントを見ることがあります。
しかしこれは非常に危険なことだと思っています。

自分たちがバスに乗って移動しておりますと、歩道を沢山の人が歩いているのが見えました。
一方バスは渋滞のため歩みは鈍く徒歩の人間に何人抜かれたかわかりません。
バス停1つに1時間近くかかった区間もあります。
しびれを切らして降りてしまった乗客も結構いて、バスは乗客がまばらになっていました。
しかし次第に夕方になり冷え込んできて、小雨もパラパラ降り出しました。
すると停電で真っ暗闇になった道すがらのバス停から
疲れて憔悴しきった人々がバスに乗り込み始め、いつの間にかバスは満員になっていました。
疲れ切って乗り込んできた人々が、駅から歩いてバスに追いつかれた人なのかということはわかりません。
しかし自分達が駅から歩いていれば体力を消耗して、
途中でバスに乗り込んいたことは容易に想像できました。

結局4時間かかって新横浜に到着しましたが、
たとえ歩いて3時間で到着したとしてもバス移動が良かったと思います。
なぜならば自分達にとり新横浜は中間点に過ぎず、
横浜に到着するため新たな移動手段をすぐにでも探さなけばいけなかったからです。

温かい暖房の効いたバスに座り2人とも仮眠すら取れて十分体力を温存して、
すぐに横浜に行くルートを探し始めました。


ここでなぜ長距離を歩いていけないかをまとめます。

人間の徒歩というのは思いの外速く、てくてく歩きたくなる気持ちもわかります。
しかし今回のような場合は春の心地良い朝のジョギングとは違い、
いつ大きな余震が起こってもおかしくない夕方から夜にかかる停電の町を通り抜けることなのです。

寒さや雨で途中で動けなくなっても、道の途中ですぐ休憩所を見つけられるとは限りません。

たとえ元気だったとしても停電の暗闇の中を歩くのは道がひび割れていたり、
盛り上がっていたり、落下物があったりいくらでも危険はあります。
の時ケガをしたり、足をくじいたりしても救護をすぐに求めることは難しいでしょう。

途中で大きな余震があって塀が崩れてきたり瓦が落ちてきて負傷しても
、すぐ治療することはできないでしょう。
負傷したまま歩き続けるか、野外で助けを待っていなければいけませんが、
いずれもかなり時間を要するでしょう。

あと何時間も歩けば体力を消耗して喉も乾きます。
しかし停電していれば自動販売機は使えませんし、
停電地域のコンビニというのは直後に近隣住民が殺到し、店自体あっという間に空になってしまいます。
停電地域のコンビニで数十人のレジを待っている状況を何軒も目撃しました。
とすれば季節によっては脱水した状態で歩き続けなければなりません。

もう1つ、女性は震災時の停電の町を夜に長時間絶対に歩いてはいけません。
正直、町は善良な人間ばかりではありません。
暗がりの道すがら、いきなりワゴンに横付けされて連れ去られるなどものの数十秒でできます。
震災の夜は危険なのでただでも住民は家でじっとしています。
しかも外はいつも以上に真っ暗闇です。

以上より長時間長距離を特に夜に歩いて帰ることは、
「体力を温存して移動する」ことと真逆な行為であり自分はお勧めしません。

自分的には歩いて帰るのが許容のは
朝から夕方薄暗くなる前に到着することが前提で
2時間つまり6~8キロくらいが限界だと思っています。


新横浜に着いてからは幸運もあり横浜及び自宅まで無事到着することができましたが、
若干補足することがありますので次回なるべく早く書きます。