らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「俳句の精神とその修得の反応」‐俳句の精神‐続き 寺田寅彦

昨日の続きです。

なんだ昨日の高校国語の教科書みたいな文章かなどとおっしゃらないで。

今日読んだ部分は寺田先生が真面目にキテレツなことも論じていてなかなか面白いんですよ。

昨日の大雑把なまとめで短歌俳句というのは人間を自然の一部と捉える日本人の自然観に深く根ざしてその結果「季語」などの特徴が必然的にあらわれた。
「季語」については歴史的文化的に長年に渡り日本人の想いが塗り重ねられ圧縮されてきたもので、ひとたび短歌俳句に表れるや、「季語」に圧縮されていた様々な内容が想いを塗り重ねてきた日本人の心に呼び覚まされるものである。
俳句の精神は俳句のこの形式を離れては存立し難いものと考える。
との事でした。

その後も俳句の精神とはということを筆者はいろいろ言ってくれるんですが、結局は俳句の精神イコール日本人独自の自然観人生観、その独自性とは「季語」等のアイテムを上手に使うことであわらになるということを繰り返し言っているだけだと思うんですよね。

そしてそれらを上手く使えるようになるためには一定の修行が必要で、まず第一段階として自然に対する観察力の練磨を要し、修得すれば俳句をはじめるまではさっぱり気づかずにいた自然界の美しさがまるで暗やみから一度に飛び出してでも来たかのように眼前に展開されるとします。

自分は今この段階の最初辺りですね。

次に第二段階としてその眼前の対象の中からその焦点となり象徴となるべきものを選択し抽出することが必要であるとします。

選択の能力は数多く俳句を創作することで次第に熟達することのできる一種不思議な批判と認識の能力で、こういう能力の獲得は一人の人間の精神的所得として有益であるから頑張れと励ましてくれています。

そして何よりも俳句の精神の修得イコール日本人独自の自然観人生観の修得であるから俳句の修業は日本人らしい日本人になるために最も有効な方法であるとします。

日本人独自のアイデンティティの習得のために短歌俳句の修行は最も有効との結論です。
ですから外国人に日本人のアイデンティティを象徴するものは何だと問われたら、それは短歌俳句であると答えるのは寺田先生によると正解のひとつになりますね。

その他、寺田先生は俳句と短歌の違いについて述べており、俳人よりも歌人の方に自殺が多いのには理由があるとか、体内各種のホルモンバランスによって先天的に俳人歌人とを決定するのではないか等とんでもないことをおっしゃってますが、ご愛嬌ということで流しちゃいます。

しかしながら寺田先生の文章は科学と文学を両方熟知する者として他の文章にない視点も多々ありますので、これからもちょくちょく記事に書こうと思っています。