らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「一握の砂」後編 石川啄木

先日、石川啄木独自の打ちひしがれ感というか、挫折感というかが今ひとつ気になって、
敬遠気味という趣旨の発言をしました。


草に臥て
おもふことなし
わが額に糞して鳥は空に遊べり


という詩はまだかわいい感じですね(笑


しかし少年の心、望郷、旅立ちといったテーマにおける
彼の作品は他の人の追随意を許さぬ透明感、温かさそして鋭さがあります。
詩を読んでその心情や情景の世界に一気にもっていかれる感があります。


不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
十五の心


晴れし空仰げばいつも
口笛を吹きたくなりて
吹きてあそびき


これらの句などは、少々うつろだけれども、気楽さもある少年の心を鋭く捉えており、
読んでいてふと自分の十代の頃の感覚に戻ってしまうことがあります。



かにかくに渋民村は恋しかり
おもひでの山
おもひでの川


ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな


汽車の窓
はるかに北にふるさとの山見え来れば
襟を正すも


石川啄木の望郷をテーマとした歌は語り尽くされており、
自分が付け加えることは何もありませんが、
今は最後の歌が一番好きですね。
自分の故郷は名古屋ですので、めぼしい山とか川とかはないのですが、
これらを口ずさむと故郷名古屋の匂いが香ってくる感覚がします。
なんとも不思議な感じです。
 



馬鈴薯のうす紫の花に降る
雨を思へり
都の雨に


先日の雨の音で頭が痛くなるという詩と違い、窓際にたたずみ静かに雨を眺めながら故郷を思い出している啄木の姿が目に浮かびます。
電車の中で読んでも啄木のいる部屋の静けさや雨の静かなしとしと感を皮膚で感じる不思議な感覚があります。

あと自分が啄木の詩で好きなのは旅の汽車の中での情景を詠んだものです。


雨つよく降る夜の汽車の
たえまなく雫流るる
窓硝子かな


何事も思ふことなく
日一日
汽車のひびきに心まかせぬ


うす紅く雪に流れて
入日影
曠野の汽車の窓を照せり

啄木の心情について詩の中では特に言及していませんが、車窓をながめながらこれから行く未知の土地への様々な感情が感じとれて好きなんです。

旅立ちってそんなもんじゃないですか。
希望だけじゃない、不安だけじゃない、いろいろ入り混じった諸々の感情。


あと好きな詩としては


ある朝のかなしき夢のさめぎはに
鼻に入り来し
味噌を煮る香よ


悲しい夢を見てふと目覚めると、静かな寝床にコトコト炊事の支度の音だけがし朝の味噌汁の匂いが香ってくる安堵感。
どこまでも静かで啄木の心も静かに落ち着いていく様がみてとれて不思議と自分の心も落ち着いていくのを感じます。

数年前岩手盛岡に行った際石川啄木が新婚の時に住んでいた家に立ち寄りました。
平屋の二間くらいの家ですが有志の方による清掃が行き届いており啄木夫妻が昨日まで住んでいたのではないかと思うほどのたたずまいでした。
行ったのはちょうど梅雨空の日の午前中で雨がしとしと降っており、啄木の詩のような静かな雰囲気が記憶に残っています。
今から思うと味噌汁の詩はあの小さな静かな住まいが舞台だったのかしらと思いを巡らしています。