らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「一握の砂」前編 石川啄木

 
頬につたふなみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず

題名の「一握の砂」は、土葬の際、参列者が一握りの砂を棺桶にかける風習からきているそうです。

石川啄木は日本文学史上でも最も有名な人物の一人であり、
教科書でも頻繁に取り上げられる存在ですが、
自分は、彼独自の打ちひしがれ感というか挫折感というかが今ひとつ気になって、敬遠気味でした。


例えば

東海の
小島の磯の
白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる

はまだいいのですが

はたらけど
はたらけど
猶わが生活
楽にならざり
ぢっと手を見る

とかですと八方塞がりな感じで、読んでいてひたすら救いがないものがあります。

友がみな
われよりえらく
見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ

「花を~」以下は好きなのですが、
友人が偉く見えるとか見えないとかは人間くさいといえばその通りなのですが、
必要以上に卑屈な感じがするといいますか、
少なくとも何度も口ずさむという気分にはなかなか難しい。

その他にも

死ね死ねと
己を怒り
もだしたる
心の底の
暗きむなしさ

わが抱く
思想はすべて
金なきに
因するごとし
秋の風吹く


自分は文学におけるいわゆる人間の負の感情を否定するものではありません。
上述の詩も、石川啄木の才を感じるオリジナリティ溢れる作品だと認識しています。
ただ彼の場合これらの感情が少々愚痴っぽく聞こえてしまう。



八木重吉の「雨」

窓をあけて雨をみていると
なんにも要らないから
こうしておだやかなきもちでいたいとおもう



この「雨」を石川啄木が詠むと

たんたらたら
たんたらたらと
雨滴が
痛むあたまに
ひびくかなしさ

八木重吉を穏やかな心にさせた雨音が、石川啄木には頭痛を悪化させる音に聞こえてしまう(笑

この手の石川啄木はちょっと救いがない感じなんです。
 



しかしながら自分は石川啄木はやはりある種の天才だと思っています。

少年の心、望郷、旅立ちといったテーマにおける彼の作品は上述の作品と同じ人物が作ったと思えない透明感、温かさがあります。
それについては今回は長くなったので、後日後編の中で書きたいと思います。


なお念のためですが、自分は上述の作品の芸術性を否定するものではなく単なる個人的な好みとしてのコメントでありますので何とぞご了承お願いいたします。