らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「フランダースの犬」菊池寛訳 後編

予想外に前後編になってしまいすみません。

フランダースの犬」は小説としては必ずしも一流でないかもしれませんが、日本のある特定の年代に深い印象を与えてきたことは間違いないでしょう。
自分もその中の一人で子ども時代からの総まとめみたいな感じで書いています。


今回読んで一番感情移入できたのは人間の登場人物でなく実はパトラッシュなのです。

前の飼い主に散々酷使された挙げ句捨てられ、瀕死の状態でネロに拾われ介抱される。
貧しくとも優しい家族。そこには物のやり取りはなくとも心の契りがある関係。
老骨ながら少しでもネロに役立つよう奮戦奮闘する。最後は暖かい暖炉も食べ物にも目もくれないで体も痺れるような大雪の寒さの中をネロの元に駆けつけ一緒に最期を迎える。
「士は己を知る者のために死す」という言葉がありますが、それの体現者ですね、彼は。
 
最後に大雪がやみ、にわかに雲間から月明かりが差し込み、ルーベンスの「キリストの昇天」「十字架上のキリスト」がネロとパトラッシュの前に神々しくあらわれるという描写は劇的で素晴らしいと思います。
アニメでは大聖堂に入っていきなり絵を見ることができたみたいな描写になっていましたが、
こちらの方が全然いいですね。原作もこんな感じだったと思います。

ただアニメのバックに流れていたシューベルトの「アヴェ・マリア」は女声ですが
ヴィブラートを抑制した素晴らしいものでした。
その後いろんな歌手の「アヴェ・マリア」を聴きましたが、物語との相乗効果もあるのでしょうが
ベストの部類に入りますね。

ネロとパトラッシュが息を引き取った後天使が舞い降りて2人の魂を天国にいざなっていくという演出はアニメオリジナルでこれはこれで好きですが、静かな感じの原作のラストも好きですね。

ラストの大聖堂のシーンは菊池寛の筆も冴え、なかなか泣かせます。

ネロも早まらなければ高名な画家の弟子にもなれたし、コゼツ旦那からの援助も期待できたのにということはいわゆる後付けであり無粋な感じがします。
原作のラストは最高に美しく完結していると思います。
 
あとコゼツ旦那も腰巾着の靴屋もネロに冷たい態度を取った村の人も極めつけの極悪人というわけでなく普通にいるそこらへんの人なんです。
ただパンひとかけらほどの優しさをかけることができればネロとパトラッシュを死なすことはなかったのにそれができなかった悔恨というんですか。
大人になってから読むとそんな事も感じました。

そんなわけで「なんだフランダースの犬か」なんておっしゃらず一度ぜひ読んでみてください。
再認識するものがあると思います。