らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【絵画】レオナルド×ミケランジェロ展 4「十字架を持つキリスト」













「十字架を持つキリスト(ジュスティニアーニのキリスト)」




大理石の塊から、
こんな生きているようなイエス・キリストが浮き上がってくるとは、
神の御業と言わずしてなんと言いましょうか。

大きな大理石の彫像は運んでくるのが大変なため、
イタリアまで行かないと、なかなかお目にかかれないのですが、
今回思いがけなく見ることができました。

この作品、制作中に顔の部分に大理石の黒い疵が現れたため途中で放棄されたもので、
未完成のままの注文主の邸宅の中庭に設置されていましたが、
その後子孫によって売却され、長らく行方不明。
2000年になって、ローマ郊外の修道院に納められていたところ、
ミケランジェロの作品であったことが明らかとなったということです。

大理石といえども自然の鉱石ですから、
へぇー、そんなこともあるんだという感じです。

ちなみに、後にミケランジェロが最初から作り直して完成させた作品がこちら。





ポーズが劇性に富み、きわめてダイナミックで、
見ていて、十字架を抱いたイエス・キリスト
その艶かしさにうっとりしてしまう、
さすがとしか言いようがありません。

こちらの完成作品を見てから、放棄されてしまった今回の作品を見ますと、
ドラマティックさとその造形において、やはり少々その差を感じざるを得ません。





非常に不遜なことを言うようですが、
一瞬、街角で、漫画喫茶の看板を持って立っている人に見える瞬間がなくもない(^_^;)


しかしながら、トルソーと同じく、胴体の部分は実に見事です。





生きて呼吸する筋肉そのもの。
間近で見れば見るほど、生きて躍動する人間にしか見えないのです。
肌の匂いさえしてきそうな錯覚に陥ります。





それに比べ、後に別人の手で完成された顔は、
間近で見ると、未完成の粗(あら)みたいなものに気付いてしまうところがあります。
やや硬直した表情で、胴体の部分が素晴らしいだけに、
形を整えた類型的な印象を受けてしまうのです。


古代ギリシア以来、2000年の時を経て現れた、
ミケランジェロの前にミケランジェロなく、ミケランジェロの後にミケランジェロなし。
唯一無比の素晴らしさ。
余人の追随を許さぬ美しさと力強さ。
これは間違いありません。






※「十字架を持つキリスト(ジュスティニアーニのキリスト)」の画像は、
撮影フリーであったため、すべて自分が撮影したものです。