らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「秋果」林芙美子






                      林芙美子 肖像


今回、林芙美子「秋果」という作品、なぜ読み始めたかといいますと、
先に紹介した万葉集の歌、

恋草を 
力車に 
七車 
積みて恋ふらく 
我が心から

が、モチーフになっているからなんです。
https://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/15748629.html


「秋果」の主人公もんは、東京で働きながら自活する女性で、
30歳を目前にして、
弟の友達である年下の男性と初めての恋をします。
しかし、男は仕事で上海に旅立ち、やがて音信を絶ちます。
もんは意を決し仕事をやめて上海に渡りますが、
そこで、男が若い娘と結婚して暮らしていたことを知ります。


この作品、昭和10年代を時代設定としたものですが、
なんだか恐ろしいほど現代と似ています。

主人公もんは30を目前にした女性ですが、
今でいえばアラフォー世代というところでしょうか。
東京で暮らしてる分には仕事にも困らず、なんとか生きていけるし、
社会的に、さほど年齢も気にされない。
しかし、ただ仕事だけの単調な毎日。
そんな毎日の中で、ひとつの恋に出会いますが、これがなかなか上手くいかない。

まるで今のテレビドラマを見ているかの様なお話です。
舞台も国際的に上海まで飛んでますしね。


愛したいのに、愛し切れない、
愛されたいのに、愛され切れない

とでもいいましょうか。
煮え切らない。と一言で片づけてしまうのは簡単ですが、
いざという時に踏ん切りがつかないのは、現代の我々と全く同じです。

上海で男の不義理を知ったのに縁を断ち切れない心、
上海で別の男と出逢い求婚されますが、踏ん切ることができない心、
東京に帰って男に再会し、妻との死別を知りますが、なぜかよりを戻すことができない心、
結局、新しい恋に飛び込むわけでもなく、かつての恋人と再出発するわけでもなく、
かといって全てを捨て去り、気持ちを一新して新たにスタートするわけでもない。
今までの気持ちを引き摺り胸に抱きながら、
もとの単調な東京での生活に戻っていく。

結局お前はどうしたいんだ。と、思わずツッコミをいれたくなるところですが、
最後、小説は次のように終わります。

「萬葉の歌のお方も、あるひはかうした女の氣持だけをお詠みになつたのではあるまいか、
恋草を力車に七車の歌をもんは思ひ出して、
現実には本当の愛をつかみ得なかった、女の雲のやうなむくむくした気持を、
もんはいまこそしみじみとなつかしく知つた」


花の命は短くて
苦しきことのみ多かりき

これは、林芙美子の有名な言葉ですが、
今回の作品のテーマも、このフレーズに集約されるのかもしれません。

割りきれないのが人生、何かを引き摺りながら生きるのが人生。
そんなに簡単に割り切れるものでもないし、気持ちを切り替えられるわけでもない。
そういう生きる垢みたいなものをつけながら、それでも人は生きてゆく。

そのように考えると、
万葉集の恋草の歌と林芙美子の言葉が重なり合ってゆくような気もします。

が、しかし、主人公の悶々と続いていくであろう、恋草の恋心のトーンは一貫して暗い。
万葉集で感じた、情熱的でアグレッシブな起き上がり小法師のような心情というよりは、
執着、粘着、後ろ髪ひかれるというようなイメージをどうしても連想してしまう。
80年前というと、かなり昔のような感覚ですが、
千年単位の大きな歴史の括りから見ると、
同じ時代の同じ悩みを持った繊細な人々。そんなことがいえるのかもしれない。
ちょっと、そんなことを思いました。