【絵画】ゴッホとゴーギャン展 4 晩年の二人
「種まく人」
ゴッホの青い絵。
晩年の青を基調とした絵には、黄色の作品に見られるような光の高揚感は感じられない。
感じるのは、フリーズしてしまった、動かなくなってしまった人間。
やはり、この作品でイメージされるのは氷。
氷に閉ざされてしまったもの。こわばって動きが感じられない。
ゴッホの青い絵。
晩年の青を基調とした絵には、黄色の作品に見られるような光の高揚感は感じられない。
感じるのは、フリーズしてしまった、動かなくなってしまった人間。
やはり、この作品でイメージされるのは氷。
氷に閉ざされてしまったもの。こわばって動きが感じられない。
構図が同じでも、種をまく農夫の躍動感、息遣い、汗の匂いといった
生(せい)のエネルギーを感じさせない停止した世界。
生(せい)のエネルギーを感じさせない停止した世界。
「アルルの三人」
随分長い間、絵画において試行錯誤を重ねてきたゴーギャンだが、
明るい太陽の輝く南太平洋のタヒチに渡ることで、彼の才能は開花したと感じる。
ゴーギャンのタヒチは、ゴッホのアルルであったといってよいのかもしれない。
開放された屈託のない、明るく伸び伸びとした筆致に、見ていて心が和む。
かといって、決して極楽とんぼなどではない、
心地よく柔らかな筆致の中に、ゴーギャンの繊細さといったものも含んでいるように感じる。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/40/ec0cb2056018196016bc6b3b8ca413f6.jpg
「肘掛け椅子のひまわり」
ゴッホの死後、タヒチに渡ったゴーギャンは、
ヨーロッパから、ひまわりの種を取り寄せ、それを育て、ひまわりの絵を描いた。
ゴッホのような鮮烈な黄色ではない、ゴーギャンの赤を混ぜた少し赤みがかったひまわり。
彼は一体どんな気持ちで、このひまわりを描いたのだろうか。
絵をじつと見ると、懐かしさとはちょっと違う、
ゴッホに敬意を表した、しかも、ちょっと畏まって敬意を評したひまわりのように感じられる。
さきほど、ゴーギャンのタヒチは、ゴッホのアルルであったかもしれないと言ったが、
タヒチで自らを開花させたゴーギャンは、
この時はじめて、アルルでゴッホが望み求めていたものを悟ったのかもしれないと思う。
このひまわりは、ゴッホの死の10年後に描かれ、
そして、その2年後に、ゴーギャンは死んだ。
それから100年の時を経て、二人の作品が遠い異国の美術展で、
大勢の人々の目に触れられているというのは、
本当に不思議なことだと思う。
アルルでの二人の生活は、2ヶ月足らずに過ぎなかったが、
ゴッホは、アルルでの生活をするに際して、
椅子を2つ買い求め、
豪華な肘掛け椅子をゴーギャンに差し出し、
自らは簡素な藁座面の椅子を用意した。
その2つの椅子を描いたゴッホの作品がここにある。
「ファン・ゴッホの椅子」
2つの椅子が並べられ、二人が語り合う事は、
ほんの僅かの間でしかなかったが、
彼らの人生を尽くした作品の数々は、
2つの椅子を並べるようにして、
多くの人達の目に触れ続け、語られ続けることと思う。
これから、ずっと永きにわたって。