らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【万葉集2014】2 言問はぬ木すら妹と兄と

 
 

言問(ことと)はぬ
木すら妹(いも)と兄(せ)と
ありといふを
ただ一人子(ひとりご)に
あるが苦しさ



市原王(いちはらのおおきみ)



物を言わない
木にすら兄妹が
あるというのに
わたしはただの一人で
いるのが寂しくて苦しい




撰者は現在文筆家として活躍されている太田治子さん。



作家太宰治と太田静子との間に出来た、いわゆる不義の子といわれましたが、
太宰は彼女の誕生を喜び、自らの名の一字を与えて、
「治子」と命名しました。

しかし彼女が産まれて半年後太宰治は自殺。
治子さんは、母ひとり子ひとりの家庭でずっと育ちました。

太田さんは、この歌の、人を木に譬えるところが非常にユニークだと言います。
木が風にゆらぎ、葉がそよぎ、それらが、かさかさと重ね合っているのを、
互いに触れ合っているように感じたのではないかと指摘します。

これは相当孤独な人にしかわからぬ感覚でしょう。
木と木がさわさわ触れ合っている様子が、
お互いに仲睦まじくしている様に感じるというのは。
市原王の寂しげな、ぽつんと一人だけ立つ
虚ろな心の内が垣間見えるような気がします。

同じく一人っ子の太田さんも、
昼間、勤めをしていた母の居ない家で、独り遊びをしていたということですから、
市原王の心情に大いに組みするところがあったのでしょう。

そして、最後に、
兄弟が大勢いても、結局は人間は一人で死ぬもの。
人間の孤独というものを一人っ子から広げて、
人間みな一人っ子であるというまでの広がりが感じられる歌である
と締めくくります。

結局人間は孤独からは逃れられない諦念とでも言いましょうか。
太田治子さんの言葉からは、端々からそのようなものを感じます。

では彼女のおっしゃることは、
動かしようのない、どうにもならない人間の業(ごう)のようなものなのでしょうか。

実は実家に帰った時、
この歌に関連した出来事がありましたので、
今回はその話をしたいと思います。

それは、母と自分が実家の母の部屋でくつろいでいた時のことです。
そこに小学生3年生の次女の姪っ子が入ってきました。
 
なにげにテレビのバラエティー番組を一緒に見ていたのですが、
見ていた番組にひっかけて、母が姪っ子に尋ねました。
「なおちゃんさ、今三人兄弟で、あゆちゃんとごうくんもいて賑やかだけど、
もし一人っ子だったらどうする?」

何の前触れもない、いきなりの問いかけに、
姪っ子は「えっ…」と、
ちょっと面食らったような顔になりました。

しかし母は続けます。
「一人っ子でひとりぼっちだったら寂しいでしょ。
なおちゃん。だったら、どうするの?」

10歳の女の子は、うーん、うーんと頭を絞って一生懸命考えていました。

自分はその二人のやりとりを黙って聞いていました。
彼女がどのように答えるのか興味があったのです。

そこでしばらく考えた末に彼女が出した答えは、
「ええとね、それだったらね、今あゆやごうと家で一緒にいる時間に
もっと外に出て、仲のいい友達、今よりいっぱい作るよ。」

その答えを聞いた瞬間、自分の心にビビビッと電気が走りました。

人生において、彼女はその術(すべ)を見いだしている限り、
市原王や太田治子さんのように孤独に悩み苦しみ、
ひとりぽつんと寂しく在ることはおそらくないでしょう。
孤独からは逃れられないと諦め、人生立ち止まってしまうことなく、
常に前を向き、出会いを求め、
歩み続けることができるのではないかと思います。

わずか10歳の少女の言葉の中に、
自分は人生をより豊かに生きるための智慧を感じたのです。
彼女の言葉はそれだけで既に完成されており、
自分はその言葉につけ加えるものは、もはや何もありませんでした。

さすが我が姪っ子。
これで、もぞ家も安泰です(笑)