らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「無名作家の日記」菊池寛

この作品は、当時無名だった菊池寛が、中央公論の編集者の目に止まり、
その名を、世に初めて知らしめた最初の作品です。

この物語を一言で言うと、
互いに、しのぎを削りながら、
文壇で名を成すことを目指す仲間同士の人間模様を描いたもの
といったところです。

そこでは、妬み嫉(そね)み、強がり、軽蔑、優越感など、
自分が少しでも、他人の前に出ようという剥き出しの、
人間の感情が赤裸々に表現されています。

が、そういう一見醜いともいえる感情が渦巻く世界に対し、
嫌悪感というようなものは、思ったほどは感じません。

通常であれば、お互い文壇を目指しながら助け合い、切磋琢磨し…
というような構成も可能なのでしょうが、
そういう構成に比べ、
この物語の人間模様は非常にリアルであり、
むしろ、しのぎを削り、文壇でのし上がるために、日夜つばぜり合いしている
生々しい旺盛な活気のようなものすら感じさせます。


主人公は、東京で非常に才能溢れる文芸の仲間との競争から逃れるように、
京都に自分の新しい活路を求め、移り住みます。
そこで今までの雑念を全て遮断して、
京都で新たに作家としての道を模索するつもりでしたが、
いやでも東京での彼らの活躍が耳に入ってきますし、
頼りにしていた大学の博士も頼りにならず、
京都で知り合った仲間も大言壮語なばかりで、
その実は、東京で活躍する連中へのやっかみに過ぎない。

東京のかつての仲間が創刊した同人雑誌が送られてきて、
山野という仲間の「顔」という小説を読み、
主人公は打ちのめされます。
そしてまたたく間に山野は文壇の寵児となり、
その名を世に馳せます。


菊池寛は東京一高時代、芥川龍之介らと出会い、
同人雑誌など発行し文芸活動をしていましたが、
その後、京都帝大に移りました。
作中の山野のモデルは芥川龍之介であり、
その作品「顔」は芥川龍之介の「鼻」のことだそうです。

この作品の中で、菊池寛の経歴、人間関係というものが、
上手いこと利用されていますが、
自然派のように、ありのままを描写したというわけではなく、
巧みに様々な創作をして、
物語のすそ野、奥行きを広げているようです。

実際、菊池寛芥川龍之介は仲が悪かったわけでなく、
この作品ではキャラクターを際立たせるため、
デフォルメしている部分があるようです。

作中の最後、山野に送った戯曲を、くそみそにけなされ、
徹底的に打ちのめされた主人公は、最後に開き直ります。

流行作家、新進作家などという名称は、
所詮空虚なものに過ぎず、
「平凡人としての平和な生活」こそが、
自分にとって格好の安住地なのだ。と

アナトール・フランス蚯蚓(みみず)の作品を引用し、
自己の心を慰めている主人公の心情がちょっと切ないですが、
この作品に出てくる、文壇を目指す青年達の心情は、
菊池寛自身のものでもあり、
また彼が関わってきた大勢の作家志望の青年達のものでもあり、
実際に見てきた、実生活に基づくリアルなものであるのでしょう。

「小説家たらんとする青年に与う」で、述べたことを、
一つの例として実践しているのが、
この作品といえるのかもしれません。





写真は一高時代の菊池寛(前列中央)
大正2年卒業生には、 芥川龍之介久米正雄菊池寛ら逸材が集中
のちに文壇で活躍することとなる