らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【テレビ番組】大河ドラマ「平清盛」後編

さてドラマはやはり脚本です。
どんなに役者が実力派揃いでも、脚本がへなちょこだとへなちょこドラマになってしまいます。
例えていうなら軍師や作戦参謀の立てる作戦がまずいと、兵士が猛者ぞろいでも戦に負けるようなものです。

では来年の「平清盛」の脚本家藤本有紀さんはどんな方なんでしょう。
歴史ドラマは初めてらしいので残念ながら過去の作品と比べるということはできません。

しかし資料収集しているうちにちょっと気になる記事を見つけました。
http://bittercup.blog81.fc2.com/blog-entry-2791.html
歴史考証の高橋氏、すでに今の段階で決裂する気満々なのが非常に気になります(^_^;)

脚本家にこだわりがあることは悪いことではありません。大河ドラマは歴史考証をなぞるドラマでないので、オリジナリティを発揮すべき部分も当然あるでしょう。
しかし歴史考証の高橋氏も言っておられるように実在の歴史上の人物を使っている以上あまり好き勝手なことをしてもらってはドラマにリアリティがなくなって白けてしまいます。
リアリティがあるからこそ緊張してドキドキして見ることができ、ドラマに喜んだり悲しんだりできるんです。

ではリアリティって何だ?という話になりますが、自分が大河ドラマに求めるものとしては次のものがあります。

なお、今から述べることは自分の主観的な趣向であって、客観的普遍的な基準ではありませんのでご了承ください。

まず、戦を一律に全否定した絶対的平和主義を振り回して欲しくない。

平和主義大いに結構。
しかし武将に面と向かって「戦はいやでございます」というようなセリフを直接吐くのは脚本としては稚拙な気がします。
三国志の「兄弟」という文字を使わずに兄弟の歌を詠めという逸話ではありませんが、直接平和という言葉を使わずして心にガツンとくるような描写ができないものかなと、こういう場面を見ていつも思います。

中世の戦は自分の命のみならず一族郎党の運命まで全てかけて行われる、まさにぎりぎりの真剣勝負です。
全てを賭けた真剣勝負を稚拙な描写の平和主義で水をさして欲しくないですね。


次に架空人物に歴史を決定させて欲しくない。

ドラマですから架空人物は史実の人物だけでは不可能な空白部分を埋める重要な役割を果たしたり、また彩りを添え、調味料のような役割を果たしており自分も積極的にその存在価値を認めています。
しかしそれも過ぎると調味料をかけ過ぎた料理のように全体の味を損ねてしまうことになりかねません。
架空人物は未来人と同じで歴史の傍観者として留めて欲しいものです。


あと主人公をスーパーマンにするような脚本は書いて欲しくないです。

主人公がその時代に起こった重要な事件に全てに絡んで顔を出すことは、歴史ドラマのリアリティを最も損なう原因になっていると個人的には思います。

主人公が生きた間には様々な歴史的事件が起こります。その中には当然主人公が関与したものも含まれますが、無関係なものも数多くあります。
主人公にとって何を取捨選択するかは脚本家にとって非常に重要な資質であると思います。
とにかく有名な事件全てに絡ませようとすると出しゃばりな感じがしてあり違和感を覚えます。


最後に「してはいけない」ばかりだとなんですので、最後にして欲しいことを述べますと

まず未知の歴史的人物の発掘。
自分の知らない人物が活躍したりすると、へえーこんな人が本当に居たんだと嬉しくなります。

次に歴史の新しい視点。例えばこれまで悪役が定説となっていたような人物が実は進歩的な政治家だったとか、この事件は今まで否定的に解されてきたがこれこれの新しい視点から肯定的に解することができるとか。
そういうものに触れると視野がパッと広がったような気持ちになって嬉しくなります。

来年の「平清盛」では是非こういう楽しい思いを沢山したいものです。

今年の「江」の脚本家は「歴史を知らないのがむしろ私の強み」と言って自由に?脚本を書いておられるようですが、自分的には歴史的人物に仮託した脚本家の自由な空想話はあまり好みではないです。
やっぱり上に述べたことに留意し、個々の事実を積み重ねて歴史的人物の行動・思考を推論する歴史ドラマが見たいんです。
それでも脚本家のオリジナリティは十分発揮できると思いますよ。

まあ所詮好みの問題ではありますけども。