らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【辞世の句】2 戦国三英傑

戦国武将の辞世の句は秀逸な句が多いんです。
平安時代勅撰和歌集に何首も撰ばれている和歌の名手のものより、
自分的には好きなものがたくさんあります。

戦国武将は常に死と向き合っていて、
自分がいつ死ぬかわからない人生を送っていたせいか、
死に関する思いがバーンと直接心に響くんです。

平安時代等の和歌の名手達の辞世の句は、華麗で雅(みやび)です。
様々な趣向を凝らして自分の死生観を彩っていますが、
戦国武将に比べると、死を語って死を感じずの印象があります。

今回は戦国武将の中でも天下統一に関わった
三英傑織田信長豊臣秀吉徳川家康の辞世の句を紹介します。


まず織田信長ですが、
ご存知の通り本能寺の変にて横死したため、直接的な辞世の句はありません。

では彼の死生観を象徴するものとなるとやはり「敦盛」の

「人間五十年
化天(下天)のうちを比ぶれば
夢幻の如くなり
一度生を享け
滅せぬもののあるべきか」

になってしまうんでしょう。

ちなみに「人間五十年」は、「にんげん」でなく「じんかん」と読み、
「寿命が50年」という意味ではなく、「人の世が50年」という意味だそうです。
自分は恥ずかしながら知りませんでした。
でもドラマは全部「にんげん」て言っていた記憶があります。
視聴者にわかりやすいようにあえてそうしているんでしょうかね。

信長の人生は「敦盛」の歌詞のごとく生きるか死ぬかの勝負の連続でしたし、
【人物列伝】高杉晋作の記事でも述べた「先駆け」の人でもあり、
常に新しい発想で勝負した人でもあります。

そういう意味では「敦盛」以上に彼の人生をうまく表した表現はないかもしれません。



次は豊臣秀吉です。おそらく彼の句が一番世に知られたものでしょう。


つゆと落ち 
つゆと消えにし 
我が身かな 
なにわのことも 
夢のまた夢


豊臣秀吉は若い時はかなり苦労して、
天下人となった後でも若い頃のことをあまり語りたがらなかったといいます。
信長に仕えた後は戦の連続で休むヒマなど無かったでしょう。
その後も天下統一事業などでかなり忙しかったと思うのですが、
茶の湯など嗜んでいたところをみると、
戦場の陣中などの合間に和歌など作っていたのでしょうか。

これといった技法など用いていない素朴な歌だと思うのですが、
むしろその素朴さ故に人臣位を極めた者の無常感がよく表れていると思います。
あと独特の孤独感と枯れきった感(枯淡というような良い意味ではなく)が漂っていて、
きらびやかな業績や行動とのギャップにちょっと驚いてしまう句です。



最後に徳川家康ですが、
辞世の句はほとんど知られていないと思います。

うれしやと 
二度さめてまた
ひとねむり 
浮世の夢は
暁の空


どう思いましたか?
これは本当に徳川家康が作ったんでしょうか。
いくら最後に太平の世を満喫したとしても、
今までの厳しい人生が全く句に練り込まれていないような気がします。
作者を言わなければ、
せいぜい一代で一財産築いた商人が作った句のようにすら感じます。
というわけで直感のみが根拠ですが、
徳川家康辞世の句は影武者説を提唱いたします(笑)。
たぶん実のところ、徳川家康は実利の人で、
茶の湯とか和歌とか無縁でひたすら政略と謀略に勤しむ人生だったのかもしれません。
そう解釈すると徳川家康らしいような気もします。

ちょっと強弁ながらも三人をそれぞれながめてみると、
戦国三英傑それぞれの特徴が表れているような気がします。

辞世の句はまだまだいいものがたくさんありますので折をみてまた紹介したいと思います。